板金マイスター
昭和42年から今野製作所を支える、板金のすべてに精通したマイスター。
仕事以外での趣味は?とたずねても、「やはり板金でのものづくりが一番好き」と言い切る。
彼の歴史はそのまま、板金の歴史と言い換えてもいいかも知れない。
今野製作所の黎明期
昭和45年、入社3年目の菅原は、人生を左右する大きな出合いに遭遇する。今野製作所が、アルゴン(TIG)溶接機を導入したのだ。
当時は、都内でも2、3社の工場しかTIG溶接機を持っていなかった。溶接を必要とする者たちは、切断した材料を溶接工場に持ち込み、順番待ちをして溶接してもらうのが普通だった。
しかし、今野製作所の決断は早かった。狙いを定めたのは、『ステンレスの板金』。ステンレスの認知度がまだ低かった時期に、錆びにくさに注目した現会長の英断が、アルゴン(TIG)溶接機の導入を決めた。
以来、来る日も来る日も、菅原は独学で溶接を身体に染み込ませていく。
「溶接機と金属材料との間を2~3mmに保ちつつ、溶接できるようになるまで、ブレて金属材料に溶接トーチがくっついたりして、なかなか難しかった」
若き日の菅原がアルゴン溶接機と歩んだゼロからのスタート。
ここから今野製作所の躍進が始まる。
「チューブ」開発物語
溶接機を導入して以降、早い段階で定期的な仕事として獲得したもののひとつに、金属板を丸めて円筒状にする、通称「チューブ」と呼ばれる仕事がある。
「チューブ」を作るには、「3本ロール」を使って丸める工法が一般的だが、ある時、2500mmもの長さを求める依頼が来た。3本ロールで丸められる長さには限りがあり、必要な長さまで何本も溶接で接がなくてはならない。求められる径も細かった。
...菅原は工法に頭を悩ませていた。
そこで目をつけたのが、ベンダーによるチューブ作成であった。
「もしかしたら同じようなことを他所でも始めていたかも知れないが、誰にも教えてもらうことはなかった」菅原はそう振り返る。
本来「折り」の用途で使われることの多いベンダーを用いて、長さのあるものを一気に完全な円筒を仕上げるために、試行錯誤が重ねられた。完成にはおよそ1年の月日を要した。
菅原の奮闘が実を結び、完成度が高く、小ロット生産としてはリーズナブルな価格で「チューブ」を提供できるようになった。これにより、今野製作所は安定受注の柱を1本得た。
なお、この技術は現在も今野製作所の根幹となっている。
単品制作をはじめたきっかけ
溶接機を導入した頃から、タウンページに載せた一行広告「ステンレスの板金です」を頼りに、単品制作の依頼は舞い込み始めていた。
「こんなのできるかな?」
まだ初心者同然の菅原のもとに、さらに素人のお客様から、完成状態が想像できないような依頼が集まってくる。
依頼を断るという選択肢もあった。だが、もともと「ものづくり」が好きな菅原。持ち込まれる依頼にひるむことなく、ひとつひとつに日夜熱心に取り組んでいった。
「変な形を作ることに喜びがわいてきた」
「ものづくりが好き」とは言え、実は、菅原がこうした単品の仕事に喜びを見出せるようになったのは、溶接機を導入して10年くらい経ってからのこと。
腕が上がったことで、気持ちにも余裕が出たのかも知れない と振り返る。
その当時の象徴的な出来事に、現会長が独立する以前に勤めていた会社から、「自分のところでは出来ない」と持ち込まれた案件を成功させたことがあった。
複雑な曲面で構成された、赤ちゃんを入浴させるバスタブ。
もともと親のような立場に当たる会社が匙を投げた仕事を見事成功させたことで一気に自信がついた。
こうして菅原はマイスターとして成長を遂げていった。
自分たちなりに「カイゼン」していた
菅原が就職した昭和40年代。日本全体がまだ毎週日曜日を休む習慣がなかった。しかし、今野製作所はいち早く毎週日曜休みを導入し、土曜日も休みにした。
当時としては最も早く導入した例といえるだろう。
当時を振り返って菅原は言う。
「不思議なんだよね。毎週日曜を休みにする前と、毎週土日も休みになってからとでは、ひと月に働ける日数が減ってしまう。だからこなせる仕事量も減るかと言うとそんなことはないんだよ。技術の進歩もあるけれど、振り返ると、今で言う『カイゼン』を自分たちなりに重ねていたのかも知れない」
後進たちへの言葉
後輩が育ってくれたことで、自分は本当に楽になってきた。
若い人たちには、...そうだな。。。
ちょっと辛いかも知れないけど、毎月の決まった仕事を早くこなせるようになって、その上で、単品制作を上手に作れるよう、腕を磨いていって欲しい。
腕を磨くことで、作りたいものに対して、どうすればいいか?どんなワザを使えばいいか?の引き出しが増えて、的確にワザを引き出すことができるようになれる。
経験をためて引き出せるようになる近道は、「作るものに思いを馳せる」。これが一番。
最後に、これからの板金事業部のビジョンを訊ねた。
「さらに単品制作を楽しめる環境を作りたい」と、根っからものづくりが好きなマイスターは微笑んだ。