板金マイスター
1994年から板金の道へ進み、今野製作所の門を叩いたのは2001年。
宮崎県出身で、「男はしゃべるな」と厳しく育てられた九州男児。
「溶接を極めたい!」と板金の道へ進んだ大岩の経歴は、バイク「ハーレーダビッドソン」への愛情から始まっている。
好きなものを自分の手で作りたかった
高校時代をバスケットボールに明け暮れた少年は高校卒業後に上京し、大好きだったハーレー愛好家の仲間に入る。
仲間の一人が、表参道のシルバージュエリーショップgoro's(ゴローズ)へ皮細工を提供する仕事をしており、大岩も誘われて皮細工を始める。
ひたすらハーレーいじりと皮職人の日々だった。
25歳で結婚を機に転職を決意。
ハーレーのカスタマイズを自己流で行なうことに限界を感じていたことから、溶接の世界を志した大岩。「もっと綺麗で完璧なマフラーや部品を作りたかったんです」 そう当時を振り返った。
修行時代
車の部品だけを扱っていると聞き、はじめて飛び込んだ溶接業の会社。バイクの部品に近い技術を期待したが、しかし実際には、他にもさまざまなものを作っていた。
今でも『師匠』と慕う当時の親方からは、「いろんなものを経験しておけ。絶対に肥やしになるから」と諭されたが、扱ったこともない大物を前に気持ちがひるむことも。
理想と現実のギャップに苦しむ修行期間を経て、さらに技術を高めたいという思いから、大岩は職業訓練校へと進んだ。
「専門的な知識を学びたい。いままで自分が培ってきた感覚と、知りたかったことが繋がった貴重な時間だった」
乾いた砂が水を求めるように技術を学んだ職業訓練校での3ヶ月間を、今でも大岩は感慨深く振り返る。
その後、苦手意識の克服をねらって、あえて大物を扱う会社へ入社し、工場の排水を通す1辺1.5m長さ5m以上の四角い管や、巨大な電解槽などの製作を経験。
こうして、のちのマイスターは一歩ずつ成長を続けていった。
今野製作所 との出会い
そろそろ本格的にハーレーをいじりたくなってきていた頃、転職を思い立ち、今野製作所と出会う。
面接で社長が語った「これから変わる会社だ」という言葉と、「完全週休2日制」。土日はハーレーがいじれる。...魅力的だった。
――こうして大岩は今野製作所に入社した。
大岩は自分の経験や技術をひけらかしたりしない、「口下手」な面がある。
年齢が若いせいもあって、入社当時は、やりがいある仕事をなかなか任せてもらえなかった。経験や実力をアピールできず困惑していた頃、今野製作所に難しい大物の仕事が持ち込まれた。
特殊車両の改造。短納期で、しかも先方の現場にある車両に、現物あわせで製作する困難な仕事だった。
誰が担当するか。社内で調整していた矢先、気づいたら大岩は立候補していた。
作業は夜を徹し、無事納品にこぎつけた。仕事を完遂する大岩の姿勢に、社内の評価も自然と上がっていった。
その後、主任を経て、2006年には副工場長に就任。
職人の誇り
口下手な彼だから、信条にしていることがある。
「お客さんを裏切らないこと」
裏切りとは、嘘をつくことだと大岩は言う。
故意の嘘ではなく、結果的に納期を守れなかったり、品質を落とすようなことを指している。
とりわけ単品制作は、自らの経験と技能が仕事の成否を左右する。
限られた時間の中で、お客様の要求に応えていくためには、自らの持つ技能を的確に引き出す必要があるからだ。
だからこそ大岩は、プロフェッショナルの定義を、「最短で最良のやり方をみつけること」と語る。
そうすれば、結果的にお客さんを裏切らないで仕事を成功させられるからだ。
「『失敗が足りない』ということは、『経験が少ない』ことと同じだと思う。数多くの失敗を元に最良のやり方を導き出せる人でありたい」 そう熱く語るのと同時に、「...ただし、失敗を恐れずに進むと損することも多いです」と付け加えて笑った。
「必要ないものを作ることはない」
単品制作に向かい合うとき、常に大岩はこの想いを新たにする。
無駄な機能や大量生産ではなく、「必要なものを必要な数だけ作る」ために、大岩は1点ごとに神経を尖らせてお客様の思いを形にしていく。
今後のビジョン
古いハーレーを愛し、先人の知恵に学ぶ大岩には、「温故知新」という言葉がよく似合う。
今野製作所の今後について訊ねたら、こんな答えが返ってきた。
「カイゼンを重ねて変えてゆくことは大切。ぜひ続けていきたい。反面、『モノづくり』そのものは、劇的には変わらない。ベーシックなものは変えようが無いからだ。
昔の人がやっていたことや、変わらないことは、これからも大切にしていきたい」
今野製作所に入社してから少しづつ手を加えてきたハーレーは、2008年にやっと動かせる状態に近づいてきたそうだ。
しかし大岩は完成度を高める手を緩めない。
「ここからさらに3年かけて状態を良くします」と 幸せそうに語る姿に、一歩先の技術へ挑戦しつづける姿が垣間見えた。






